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ビートチャイルド(''BEAT CHILD'')は、1987年8月22日から23日にかけて熊本県阿蘇郡久木野村(現・南阿蘇村)にあるアスペクタで行われた日本初のオールナイト・ロック・フェスティバルである。主催はくすミュージック・熊本県民テレビ・BEATCHILD ASSOCIATION。 1987年、この年にオープンしたばかりの熊本県野外劇場「アスペクタ」の杮落しとして行われた〔チケット料金は前売りが¥4,500で当日は¥5,000であった(全ブロック指定)。〕。7万2千人の観客を全国から動員した。司会はかなぶんやとマザーエンタープライズの福田信。 当日は、開場が14時、開演が18時、終演が翌朝6時というタイムスケジュールで行われた。オールナイト・コンサートのため、18才未満の入場は禁止された。 == 日本版ウッドストックとしての伝説 == 2013年現在、参加したアーティストの累計アルバム販売数が4000万枚を超えているように〔BEAT CHILD (ビートチャイルド) 映画公式サイト「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987」イントロダクション 〕、当時の若者たちに絶大な影響を与えていたアーティストたちが所属事務所やレーベルの垣根を超えて集まったイベントのため、3万人の予定だったチケット販売数は、前日には7万人を超えていた。 この日のために、全日本空輸やJR九州などが協力し〔BEAT CHILD (ビートチャイルド) 映画公式サイト「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987」ビートチャイルドとは? 〕、福岡空港からはアスペクタへの直送バスが出された。また、全国各地からもツアーバスが出されるなどした。 当日の天気予報は前日のリハーサルと同じ晴れとなっていたが、開演前に突然のスコールが会場を襲った。30分ほどで止んだものの、この大雨で通路や草地の会場はぬかるみ、入場の列がスムーズに進まず、外に何千人近くの入場者が足踏みしているなかで開演となった。 前座のTHE HEARTが登場した時間帯の天候は、分厚い雲が空を覆っていたものの、雨は降っていなかった。2組目のTHE BLUE HEARTSは小雨が降る中でのステージだった。4組目のRED WARRIORSが登場した頃には、少し雨は弱まったものの、その後は雨脚は弱まるどころか、強くなっていき、6組目の岡村靖幸がステージに上がる頃には再び雷が鳴り出す。客席は草地の斜面であったため、泥濘と化す。午後8時頃、再び大雨が会場を襲う。大雨によってセッティングが長引き、予定よりも1時間以上遅れて7組目に登場した白井貴子のステージでは機材が雨のため故障。白井は当時を振り返り、「気付いたら後ろで演奏していたはずのギタリストがテントの中に逃げていて、前にあったモニターも無くなっていた。歌ってる私だけがステージに一人いた!」と語っている〔。その後も雨は止むことはなく、日が変わると気温も急激に下がりはじめ、午前2時ごろに11人目となった尾崎豊がステージに登場した頃に雨脚はピークを迎えた。会場一帯には大雨警報が出され、雨量71.5ミリメートルを観測する記録的豪雨で、ステージ上には水たまりができたほどであった〔〔26年ぶり蘇る!伝説のロックフェスが銀幕に!- SANSPO.COM 〕〔BEAT CHILD (ビートチャイルド) 映画公式サイト「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987」当時の記事 〕。 客席では寒さのあまり失神する者が続出し、何台もの救急車が会場を行き交かった〔。 会場となった熊本県野外劇場「アスペクタ」の一番広い楽屋は運ばれてくる観客の一時収容場所になり、アーティストたちのグッズのT-シャツも無料で配られた〔『MUCHCOLOR マチカラ press vol.42』2013年10月号〕。BEAT-CHILDで司会を務めたかなぶんやは、「スタッフが足りない中、HOUND DOGの大友さんが、運ばれてきた人たちにお茶やタオルを配っていたのはとても印象に残っています」と語っている〔。 ステージ上には屋根がなく、トリ前の渡辺美里まで、各アーティストは豪雨に打たれながらのパフォーマンスとなった。 夜明け前、トリとして登場した佐野元春のステージの時に雨は上がり、朝日とともにフィナーレを迎えた。 ECHOESのメンバーだった辻仁成も佐野のバックバンド「THE HEARTLAND」でギターを弾いており、後年、エッセイ『音楽が終わった夜に』で「まさにあれはウッドストックだった。エコーズは出演できなかったが、僕は佐野元春とハートランドのゲストとして飛び入りをした。人間で埋め尽くされた高原は圧巻であった。」と書き残している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「BEAT CHILD」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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